日々楽しく生きるには

喜びを手に入れたければ、喜びを手に入れることを心に決めるのです。楽しくないのは、心に楽しくないという言葉がインプットされているからなのです。無理に楽しい気持ちにしてもだめなのです。心にある楽しくないを消滅させるのです。気持ちにうそをついては、抜け出せません。気持ちをそのまま受け取るのです。そして流していくのです。そうすることで心が未来を向くのです。


何かから逃げる気持ちを持っていることも楽しく生きるうえでは足かせになります。逃げる前に分析するのです。なぜそれから逃げたいのか、正確に分析することで、果たしてそれから逃げるべきか逃げるべきではないかがわかるのです。負担が増えることを恐れるとマイナスの罠にはまるのです。仕事ができなければ、当たり前に仕事を十二分にこなせる自分を目指すのです。負担とは自分が許せる範囲で、周囲の許容を得て課せられるものです。応分の負担をすることは必要ですし、権利であると同時に義務でもあります。しかしながら、したくない負担は理由の健全な限りにおいてするべきではありません。


万人が応分の負担を適切にして社会は快調に回るのです。社会を回す一人としての応分の負担が、万人に求められるのです。生きているだけで負担の人は、生きるしかないのです。余裕のある人は、余裕のある分だけ負担をするのです。


楽をしたいのは当然です。ですが、楽をする中にも助ける権利を行使すること、つまり負担をすることがなくして、人として役割を果たしているとは言えません。生きていれば人を助けるのは当然です。もちろんだからといって、人を助けなければいけないわけではありません。人を助ける気持ちが自然にわかなければ、人を助けるのはしばらくまったほうがいいかもしれません。義務としての援助ではなく、権利としての援助を行使するのです。


助けることを義務と感じることは、長年続いてきた人類の負の遺産です。義務と感じている限り、気持ちは明るくならないでしょう。権利の行使と考えられたとき、歯車が逆に回転し始めるのです。みなで助け合って楽しく生きたいものです。