萩・津和野・安芸の宮島と石見銀山3日間


2008年2月10日から12日にかけて萩・津和野・安芸の宮島石見銀山3日間のツアーに行ってきました。萩・石見空港について乗ったバスは旅行会社専用バス・クラブツーリズム号でした。

最初の目的地は津和野でした。津和野にはバスガイドさんの話によれば、津和野の人口よりずっと多い10万匹の鯉がいるということで、そのうちの何千匹かが写真のように堀を泳いでいました。とても太った立派な鯉が多く、なかなか圧巻でした。

津和野で行ったのは、森鴎外の旧家でした。以前は大きな建物だったらしいですが、縮小したものが今でも保存されており、内部も見られるようになっていました。

津和野では、おみやげものやさんで、鮎の内臓を塩漬けした、うるかという酒の肴を買いました。帰って見てから食べてみたら、酒のおかずとしてより、ご飯のおかずにしたほうがいいかなと思いました。

お昼は、郷土料理のうずめ飯を食べました。うずめ飯は、この地域で、お祝いのときなどに出す郷土料理で、上にはご飯、下のほうに細かく刻んだ具が入っています。何でもその昔豪華な食事を食べているのをおおっぴらにしてはまずいということで、具を下に入れてお茶漬けのようにして食べたのが始まりだということでした。

午後は萩の町に行きました。萩の町ではまず吉田松陰にゆかりのあるところへいきました。写真は松下村塾で、当時明治の初めのころにここで、門下生が吉田松陰の講義を聞き、啓蒙の思想を受けたということでした。伊藤博文などのそうそうたる門下生が学んだということでした。

松下村塾の中はこのようになっていて、ここに机を置いて吉田松陰を囲んで講義を受けたということでした。

左が門下生が描いた松陰の肖像画で、右側の竹の柱には松陰の言葉がかかれています。

松下村塾を背景に梅の花の写真を撮りました。

松下村塾松陰神社を見た後は萩焼の窯元に行きました。今回のツアーで行った窯は登り窯という様式の窯で焼いていて、大きなものから小さなものまでいろいろなものを売っていました。

登り窯とはこのような窯で薪で日を焚き自然の火によって風合いが生まれるものです。

萩の町では、久保田家を見ました。

久保田家ではちょうどひな祭りをやっていて、たくさんのひな壇が展示してありました。

午後の観光が終わり泊まる事になっていた萩観光ホテルに行く途中、空から日が差し美しい風景になりました。

夜はふぐ料理、ふく会席でした。

津和野の町で買った津和野に美術館のある安野光雅の絵が描かれたお酒を夜飲みました。

2日目は、最初に秋吉台に行きました。秋吉台は冬の装い、雪は積もっていませんが、黄色く枯れた草が一面に生え、そのいたるところから石灰石が飛び出ている様子が印象的でした。

秋吉台を駆け足で見た後は、一路錦帯橋へ向かいました。錦帯橋では、それなりの時間がもらえたので、錦帯橋をバックに写真を撮ってから、橋を渡り、反対側にある公園を散策しました。

こちらの方は、まだ関東では咲いていない梅がどこも咲いていて、ここ錦帯橋でも梅の花が見ごろを迎えていました。

錦帯橋を渡った先のところで、岩国の天然記念物、白蛇が展示しているということで、そこまで急いでいきました。白蛇は幸運の象徴ということで、目に焼き付けておきました。

帰りに錦帯橋の上から、上のほうに見える岩国城の写真を撮りました。

錦帯橋の観光が終わった後は安芸の宮島に行きました。宮島にはフェリーで向かいました。

宮島には野生の鹿が群生していました。野生といってもきっと観光客からえさをもらっているのでしょう、人が何かを食べていると盛んによってきて、ほしそうにしていました。ここの鹿は紙も食べてしまうのだそうです。

厳島神社の鳥居を撮影しました。この鳥居は、自重だけで海の中に立っているのだそうで、砂の下に土台があったりするわけではないということでした。潮が引くと鳥居のすぐそばまで歩いていけるということでした。

厳島神社は、平山郁夫の絵で見たことがありましたが、絵のとおりの神社で、鮮やかな朱色で塗られた柱や建造物が神の島としての宮島の歴史を表しているようでなかなか気持ちのいい神社でした。

厳島神社には五重塔もありました。

神社の中を見終わった後、ふと花を見たそこにはメジロがいて、近寄って写真を撮っても逃げないでいました。

宮島の観光が終わった後は、広島に行き、平和祈念公園にある資料館に入りました。原爆に関するさまざまな資料が展示してあり、外国人を含めたくさんの人が見学をしていました。

平和祈念のモニュメントのそばには、戦争の火が消えるまでつきつづけるともし火がありました。

原爆症で幼くしてなくなった貞子のモニュメントもありました。千羽鶴千羽鶴、貞子の夢乗せ・・・という歌は知っていましたが、その貞子が実在の子どもで、ここ広島で、原爆症でなくなったことを知り、その歌の深みがいまさらながら感じられました。貞子の像のそばにある千羽鶴ケースには、毎日たくさんの千羽鶴が全国の学校などの施設から送られてくるということで、たくさんあるケースが1週間でいっぱいになるということでした。

原爆ドームは、今でこそ世界遺産になっていますが、人間の行った想像を絶する行為の果てに生まれたこの建物の様子が、その世界遺産として登録された意味を物語っており、その精神性なくして、この建物の存在意義は語ることができないものでしょう。

原爆ドームを見た後、歩いて市街地へ行き、そこにあった、お好み焼きやさん、みっちゃんでコーンベーコンのお好み焼きと、海鮮ミックスのお好み焼きを食べました。

3日目は、いよいよ石見銀山でした。石見銀山では、間歩と呼ばれる坑道跡が工事のため入れないということで、羅漢寺の五百羅漢を見ました。残念ながら写真は撮れませんでしたが、さまざまな表情をした仏陀の弟子500人の彫像を見ました。

石見の町並み大森地区は、黒い木の壁の家で統一されており、不思議なぐらいこの地域に昔の家並みが残っていました。郵便局も、パン屋さんも、資料館も全部このような100年前の建物が保存されていました。

ほとんどないおみやげ物やさんのうちの一つで、げたのはせんべいを買いました。

同じく、ゴマ豆腐の店でゴマ豆腐を買いました。

石見銀山を見た後は、広島空港へ一路向かいました。途中、高速道路を通っているときにけっこう雪が降ってきて、あたり一面雪になりました。

帰りの飛行機は、雲海の上を通りながら、今回の旅行が充実していたことを感謝しました。石見銀山は、世界遺産に登録されて間もないこと、これから、さらに人が多くなるのかとも思いつつ、見られなかった坑道を見にまた行こうと思いもしました。萩の町は、見所がいろいろあって、またゆっくり旧家をみたりして、町並み散策と窯元訪ねをしようとも思いました。